2019年1月も残りわずか

2019年1月も残りわずかになったが、いろいろなことがありすぎて、まだ1月なのかぁ~、と思ってしまう。

一番強烈な出来事は、認知症の老人から言葉の暴力を受けてことだ。それ以来、やや消極的というか、弱気になっている。壮絶な体験であった。いい年をしたおばさんが泣いてしまったのだ。名誉のために言っておくが、認知症の老人というのは、私の両親ではない。血縁関係のない老人である。前後の脈絡も話したくないし、言葉の暴力による被害を再現する気にはなれないが、たとえていえば、油断をしていたときに、機関銃を突き付けられ、逃げる暇もなく、機関銃でハチの巣のように、穴ぼこだらけにされた、とまぁ、そんな感じである。

その時、「すごいなぁ」と思ったのは、人間の脳の働きである。私は普段涙もろい方ではない。どちらかというと人前で泣くことはほとんどない。その私が泣いたというのは、一種の防衛本能によるのではないかと思うのだ。涙を流すと脳の老廃物が洗い流される、と聞いたことがあるが、どうやらそれだけではないらしい。涙を流すことによって、言葉の暴力で受けたダメージを緩和しようとしていたように思われる。涙によって、記憶を少しにじませるというのか、おぼろげにする作用があるように思われる。

ともかく、この話はこれでやめておこう。もう少し時間が経てば、私の人間不信も少しは和らぐことだろう。

2019-01-29 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : konekosan

2018年もあとわずか

ちょうど去年も12月27日に更新していた。偶然今年も同じ日に更新することになった。性格的に後ろを振り返ることを好まないので、今年を回顧することはない。

先日ムネーモシュネーの最終号はまだですか、と尋ねてくださった人があったが、残念ながらまだなのだ。原稿は少しずつ集まっているのだが、私のやる気が出なくて、編集作業は停滞している。きっと心のどこかに、3月か遅くともゴールデンウィークに発行すればいいか、という思いがあって、それならまだ慌てる必要はないか、と自分を甘やかしているのだ。・・・そのうちやる気も出てくるかなぁ。

今年もお世話になりました。来年も細々とブログを更新していこうと思いますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

皆様の新年のご健康とご多幸をお祈りして申し上げます。

2018-12-27 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : konekosan

メガネ違い

「眼鏡違い」という言葉がある。辞書をひくと、人などの良し悪しの判断を誤ること、というような説明がある。確かに眼鏡を間違うとよく見えなくて、間違うということがある。

11月3日文化の日に、ピアノの発表会があった。文化の日だからというのではなくて、偶然この日に決まったようだ。ちなみに、聴きに行ったのではなく、弾きに行ってきた。今年は、ちょっと背伸びして、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ15番の終楽章を選んだ。You Tubeで、バレンボイムやブレンデルの演奏を見たり、聞いたりしていると錯覚に陥る。臨場しているという錯覚ならともかく、「私にも弾ける!」という錯覚だ。「けんきょ」の「け」の字もない、不遜なこの思いは、錯覚としか言いようがない。

練習を重ねるうちに、アシュケナージやケンプの演奏に限りなく近い出来になっているという、さらなる錯覚に囚われる。レッスンのときに、先生の前で、指が絡まりそうになりながら、モタモタ弾いているにも関わらず、家ではちゃんと弾けるのにどうしたことか、と首をひねり、現実を受け入れられないでいる。まぁ、錯覚がなければ、ピアノの発表会に出ようなどとは思わないだろう。

さて、発表会の当日。リハーサルで、緊張するとどうなるかというだいたいの症状をつかみ、いざ本番を迎える。冒頭の8小節を弾いたところで、「おぉ、調子がいいかも」とこれまた不遜な思い。しかし、そのすぐあとにふと気づいた。「眼鏡が違う!」そうなのだ! おばさんなので、暗譜は免除されて楽譜を見ながら演奏するのだが、ピアノ用の眼鏡(一般的には老眼鏡と呼ぶらしい)ではなく、普段かけている眼鏡のままであることに気づいた。普段の眼鏡だと、細かい音符がぼやけて、音の区別がつきにくくなる。指は勝手に動いているが、頭の中では、葛藤が起こっていた。まだ冒頭のところからこのまま演奏をやめて眼鏡を取り換えに戻ろうか、いやいやこのまま続けて弾くに決まっているだろう、そうは言っても見えないのだぞ・・・。30年ぶりに再開したピアノのレッスンだが、子どもの頃に刷り込まれた教えは、こういうときには揺るぎないものとなるらしい。「一度弾き始めたら、音を間違えても、止まったり引き直したりしてはいけません!」この絶対的な格言のもと、多少の傷を負いながら、何とか最後まで弾き終えた。

眼鏡が違うと、本当に何も見えなくなってしまう。が、これもまた実力のうち。自己責任というわけだ。幸い、録音も録画もない。ゆえに、記憶は美化され、新たな錯覚を引き起こし、次回の発表会には、ぜひあの曲を、いやいやこの曲の方がいいかな、と不遜な思いは上限を知らずに膨らんでいくのである。

2018-11-05 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : konekosan

10月31日

今日は、ハロウィンだそうだ。私のこどもの頃は、ハロウィンなどは輸入されていなかった。中学校?いや高校だったか、英語の教科書に、ハロウィンというのがある、というような文章が載っていて、そういう日があるのかぁ、と思った記憶がかすかにある。今年のハロウィンは、すでにこの前の土日で盛り上がっていたようだが、その日は、日本海側の地方の宿に仕事で缶詰になっていたために、都会の真ん中でいろんな騒ぎがあったことすら知らずに過ごしていた。テレビや新聞がないわけではなかったが、仕事に伴う苦労が大きく、それらに接する気分ではなかった。

今年の10月も今日で終わる。今月も、このブログで、つぶやいてみたいな、と思ったことは何度かあったが、つぶやきたい、と思ったその瞬間が旬なので、旬を逃すと、思ったことも色褪せて、すぐさま消えてしまう。

そうそう、私の近しい人が病気になった話を書いたと思うが、ときどき飛んでくるメールを見る限りでは、苦しく辛い日もあるようだが、それなりに楽しい時間もあるようだ。少し安心した。きっとお見舞いの人に、笑えない冗談を言っていることだろう。

 

2018-10-31 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : konekosan

2018年の秋分の日

近所の小さなスーパーの買い物に出たら、お萩の実演販売をしていた。それでようやく、今日が秋分の日であったことに気づいた。雨が多くて、洗濯に困っているが、それでも今年の秋も少しずつ深まり、明日は十五夜だそうだ。

近しい人が病気になって、療養中だ。あまりに遠くで療養しているので、時折メールで様子を伺っている。メールのやりとりができるのだから、それほど重篤でもないのだろうと安心していたが、メールの文面をよくよく吟味すると、「それって、かなり危険な状態ですよね」、と思わず、PCの画面にむかってつぶやいてしまった。

近しい人が病気になるのは嫌だ。自分が病気になるのも嫌だけれど、それ以上に嫌だ。心がざわざわする。

一日も早い回復をただ、ただ、祈っている。

 

2018-09-23 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : konekosan

睡眠導入

あまりに忙しすぎると、文字が私から逃げてしまうらしく、本を読む気になれない。老眼が進んで、今使っている眼鏡が合っていない所為もあるかもしれないが、本を開く気にもなれない。忙しすぎると困ることがもう一つあって、寝付きが悪いうえに、眠りが浅くなることである。

子どもの頃から、夜、布団に入って本を開くと、5分後には眠っていた。5分というのは少々怪しいが、それくらい速く、眠りにつくことができたのだ。「眠れない夜のために」というタイトルの本があったが、まさに眠れない夜のために本を開くのは、私にとってはもっとも良い睡眠導入方法であった。ただ、この方法だと、蛍光灯をつけたまま朝を迎えるという克服すべき新たな課題が生じる。手元だけを照らす読書ライトのようなものを持たない私には、かなりの難題である。

ところが、あまりに忙しくて、寝付きが悪く、本も読む気になれない今、どのように睡眠を導入するのか。オーディオ・ブックの力を借りている。CDブックというべきか。CDプレーヤーのタイマー機能を利用して、1時間後にCDがoffになるようにセットしておく。そうすると、蛍光灯もちゃんと消し、CDプレーヤーも消した状態で朝を迎えることができるのだ。しかも本を読んでいるのと同じように、5分後には眠りにつける。ありがたいことだ。

しかし、ここにもまた克服すべき問題が・・・。ほぼ同じ時間で眠りに落ちるらしく、いつも同じ箇所しか聞けないのだ。トラックを一つ先に進めても、二つ先に進めて、同じこと。それぞれのトラックの最初の方しか聞けないのだ。この前まで聞いていた夏目漱石の『硝子戸の中』の抜粋CDは、聞き覚えのある部分をパズルのように頭の中で組み立てて、ようやく各トラックの内容が把握できるまでに3ヶ月はかかったような気がする。いや、もっとかかったかもしれない。今は、シャーロック・ホームズの物語を聞いているが、これが11トラックに分かれていて、4トラックまでは何となく話の流れがつながったところだ。「千一夜物語」ではないけれど、犯人逮捕までは、あと何夜かかることやら。

2018-08-12 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : konekosan

居心地のいい場所

今年もあっという間に半分が過ぎた。大好きな夏至も終わり、これからまた徐々に昼の時間が短くなっていくわけだ。

それはともかく、6月下旬に出張があり、その帰りに少し寄り道をしてエキュメニカルな場所に行ってきた。そこには神父様がいて、詩人がいて、牧師夫妻がいた。詩人が、「イエズス会で墓地を買いました」と言い、ドミニコ会の神父様が、「私に葬式をあげるように頼んでいるのに、どうしてイエズス会で墓を買うのですか」と穏やかに、遠慮がちに、小さく噛みついた。それを見ながら、牧師の奥さんが「また始まった・・・」と呆れながらつぶやき、おとなしい牧師のご主人が静かに微笑んでいた。

こんなことを書いても、何が面白いのだろうと、訝しがられるだけであろう。だが、私にとっては、このような他愛のない場面に遭遇して、こんな居心地の良い場所があったのだと気づき、こんな居心地の良い場所があることを忘れていた自分を恥じ、そして、何年たっても居心地の良い場所を築いてくれる人々に、このうえない懐かしさを覚えた貴重な時間であった。そういう人々といると、自然に笑っていた。こんなに笑ったのは、何年ぶりだっただろう。

「たまには顔を見せにきなさい、顔を忘れてしまわないようにね」と神父様から電話をもらったのは、5月だった。今さら顔をだしてもなぁ、と女々しく考えていた。おばさんだからね。だが会うとすぐに空白の時間の溝は埋められた。昨日も一昨日も一緒にいたかのように、話が弾んだ。けれど、時折、知り合いの噂話を聞いて、やはり時は流れているのだとも思った。そして、よくよく見れば、神父様も、詩人も、牧師夫妻も、斯く言う私もそれなりに年をとっていた。

それはそうなのだが、それでも、皆、あのころのままの優しい人々であった。

 

2018-07-13 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : konekosan

チョコミント

2018年の夏至は6月21日だそうだ。今が一番日の出の時刻が早い時期だそうな。私の一番好きな時期でもある。

日が長いのは良いのだが、梅雨の時期でもあるのがちょっと残念。でも、梅雨がなければそれはそれで困るので、仕方がない。

夏至が近づくと、私の仕事も本格的繁忙期に突入する。前にも紹介したような記憶がうっすらあるが、私は繁忙期と呼ばず、繁茂期と呼んでいる。仕事が次から次へとニョキニョキと伸びて、あっという間にジャングルになって、右へ進んでいいのやら、左へ進んでいいのやら、身動きのとれない状況になるので、繁茂期。やれやれ。

こういう繁茂期の楽しみは、チョコミントだ。チョコミントと言ってもいろいろあって、チョコレートだけではなく、アイスクリームやアイスティーにもチョコミント味がある。夏が近づくと一斉に、チョコミント味の飲食物が売り出されるのだが、なぜだろう。チョコミント好きの私には、一年中販売してもらいたいのだが、夏季に限るというのは、ミントの清涼感が夏の暑さを、ほんのわずか、申し訳程度に緩和してくれるからか。

チョコミントの中でもお気に入りは、某コンビニのチョコミントのアイスバー。これを食後のデザートに1本食べながら(2本食べたい気持ちをぐっとこらえて)、クラウス・コルドンの『ベルリン1919』を読むのがここ数日の私の日課になっている。コルドンの本の中では、主人公たちが、冬の寒さと貧困の中で、国家のイデオロギーと労働者のイデオロギーとの軋轢にあえいでいる姿が、重苦しい雰囲気の中で描かれている。のんきにアイスバーをかじりながら読むような本ではないが、ま、いっか。本の中に引き込まれるので、読んでいるとかなり疲れる。そのため、一度にたくさんは読めないが、そのかわりに6月いっぱいはこの本で楽しめそうだ。

引き込まれる、というのは、ヘレという主人公の後ろを私がついて回っているような、そういう錯覚を起こすことである。昨日、読んでいて興奮したのは、少年ヘレが街頭演説の一団の中に紛れ込んだとき、一緒にいた大人がその演説者を見て「あれはローザ・ルクセンブルクだ」とヘレにささやいたシーンである。「え!ローザ・ルクセンブルク!」、私も思わずつぶやいた。そのあとのシーンで、ヘレが家に帰って街頭演説の話をすると母親が「ローザ・ルクセンブルクを見たの?」とちょっと羨ましそうに聞き返していた。「そうそう、羨ましいよね、会ってみたいよね」と母親の反応に共鳴してしまった。

共産主義者ではないけれど、ローザ・ルクセンブルクには、何となく憧れる。30年ほど前に「ローザ・ルクセンブルク」という映画を観た。ローザの暗殺で、その映画は幕を閉じたが、何ともやりきれない怒りを覚えた記憶がある。

堅苦しい話は、やめにして、今夜もアイスとコルドンで、私の一日が終わるのだ。明日からまた仕事。・・・やれやれ。

 

 

 

 

ファン心理

ゴールデンウィークもあっという間に終わってしまいました。

ほぼ引きこもりに近い状態で、連休を過ごしましたが、この連休の収穫は、ペーター・シュライアーのHPを見つけたことです。シュライアーと言っても、彼の名を知る人はどんどん少なくなっているのではないか、という気がします。テノール歌手です。リリック・テナー。透明感のある歌声に、どれほどうっとりしたことか! 歌手生活から引退して10年とちょっと。今は指揮をしたり、後進の育成に努めているようです。

時間は無情に過ぎていきます。そういう私も、長年のファンでありながら、新聞をとっていないので、彼の生死をネットで確かめた次第です。よかった!まだ生きている!・・・もうすぐ83歳を迎えますが、元気で過ごしているようです。

シュライアーさんとの出会いは中学2年生のときでした。それから早●●年が経ちましたが、今なおファンを続けております。こまごまとしたことは、どこか別の機会にご披露したいと思います。

生死を確かめるために開いたウィキペディアで、上記のHPを偶然見つけたわけですが、そこからいろいろなページにリンクされていて、行きついたのが、2015年のドイツのテレビ番組でのインタビューの様子でした。30分ほどのインタビュー。もちろん字幕がないので、3分の1すら理解できませんでしたが、最後に、「毎日いろいろやることがあるので、決して退屈しないよ」という一言を聞いて、幸せな人だなぁ~と思いました。

それはともかく、いくつになってもファン心理というのは根強いもので、約3年前のインタビューにもかかわらず、シュライアーさんが目の前にいて、私に話しかけてくれるような気分になりました。インタビューを見終わったあとも、ついさっきまで旧交を温めていたような気分に浸っておりました。

こういうのが高じるとストーカーになるのかも・・・。気をつけます。

2018-05-07 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : konekosan

衣替え

今日で4月も終わり。「もう」終わりか、「やっと」終わりか、微妙なところです。終わりと言えば、今年のゴールデンウィークの前半も今日で終わり。カレンダー通りなので、明日と明後日は仕事して、ゴールデンウィークの後半に突入です。

今日は比較的気分がよかったので、衣替えと毛布等々の冬物をお洗濯しました。子どもの頃は衣替えといえば6月だったような気がしますが、ま、いっか。それよりもずっと気になっていたテーブルクロスを交換できたのが、一番の収穫だったような気がします。

私のピアノのお稽古もまる1年続きました。その割には、ぜんぜん上達しませんが、衝動買いした電子ピアノも家具に化すことなく、楽器としてまだ壊れずに活躍しています。

この前発表会が終わったと思ったら、次の発表会の話がすでに持ち上がり、今度は出演の申し込みが少なかったら、中止になるとか・・・。それを聞いたのは、私が思案の末、出演の申込書を提出したときでした。・・・そういう話はもっと早くに聞きたかった、という言葉が口からこぼれそうになったのをぐっとこらえましたが、今は中止になることを密かに念じているところです。

いずれにせよ、2日我慢して働いて、ゴールデンウィークはのんびり引き籠もりたいと思います。

2018-04-30 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : konekosan