久しぶりにカレンダー通りの土日休日。散らかっている部屋の中を少し片付けましたが、根気が続かず、残りは後日。そして久しぶりに「敬愛なるベートーヴェン」という映画のDVDを観ました。2007年に公開された映画です。8年ぶりに観たわけです。コピー機のない時代ですから、ベートーヴェンの書きなぐったような自筆の楽譜をきれいに写譜する仕事がありました。映画は、架空の女性写譜師アンナが、難聴に苦しむベートーヴェンを助けて「第九」の初演を成功に導くというのが、主な筋です。8年前には気づきませんでしたが、この写譜師は、実はベートーヴェンの魂の片割れではないか、というような気がしました。
それはともかく、この映画の中での一番のクライマックスは、第九の初演コンサートの場面です。ほとんど耳の聞こえないベートーヴェンに合図を送るために、アンナが、客席から見えない場所で指揮をしますが、これは史実に基づくようです。この場面を手に汗しながら、観ていると、第九の演奏が終わるやいなや、思わず画面に向かって、「ブラボー!」と叫んでしまいました。・・・よかった、映画館でなくて・・・
でも、私が一番好きな場面は、アンナにベートーヴェンが音楽について語る場面です。
「音楽は単なる空気の振動だ。だがそれは神の息吹なのだ。神の息吹である空気の振動が、人間の魂に語りかけるのだ。音楽は神の言葉だ。われわれ音楽家は最も神に近い存在なのだ。われわれは神の声を聞く。神の唇(=意思)を読み取る。われわれは神の子どもたちを生み出し、神を讃える。それが音楽家だ。それができなければわれわれは必要ない」。
ピュタゴラスは、天体は、人間の耳には聴き取れない音楽を奏でながら運行していると考えていたようですが、その音楽を聴くことができるのは、ただ神のみなのかもしれません。そのような音楽を人間が聴いたら、人間の耳はその大音響に耐えられないであろうから、そのような大音響を聴けないということ自体が神の恵みであるという説もあります。いずれにしても、空気の振動を音として聴く、あるいは空気の振動を、鼓膜を通して音と認識できる能力は恐らく人間だけでしょうから、それは天体の音楽を聴くことのできない人間に対して神が下さった賜物なのかもしれません。
ベートーヴェンの音楽については、もっと話したいこともありますが、そのうち気が向いたら、またお話させていただきます。
第九については、ちょっとした面白い読み物としては、今道友信著「音楽のカロノロジー-哲学的思索としての音楽美学-」の中の付録「よろこびをうたう」という対話篇がありますので、興味がある方は、どうぞ。