気がつけば師走も半ばを過ぎ

気がつけば師走も半ばを過ぎていた。

先生も走る月らしいが、走るのは先生だけではなく、私も毎日駆けるがごとく・・・いやいや、その場駆け足と言うべきか。ドタバタしながら、ジタバタしている毎日だ。

PCもいつ壊れるかと思いながら、これも一種のドキドキもので、マウスをクリックするごとに、へんな雑音がする。・・・そういうときは、「気のせい、気のせい」と自分に言い聞かせる。

それでも、次号の「ムネーモシュネー」の「巻頭の詩」に取り上げたいものがひらめいた。書き始めて挫折するかもしれないので、作品名は伏せておこう。

今まで「如月」とか「皐月」に発行した号は、あったが、「弥生」はない。「卯月」はあったかなぁ~、と思うほど、記憶があいまいだが、とにかく、春には第24号を出したいものだ。

2016-12-19 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : konekosan

霜月の休日

霜月という名に反して、昨日の昼間は少し体を動かすと、うっすら汗がにじむような良いお天気であった。今日はまた例のごとく引きこもっているので、外の様子はわからない。窓から外を眺めると、昨日同様、良いお天気のようだ。

昨日は、珍しく日比谷まででかけた。休みの日は引きこもりと私の相場は決まっているのに、どういう風の吹き回しかというと、講演会があったのだ。一ヶ月と一週間前から楽しみにしていた。偶然講演会のチラシを見つけて、即座に聴講を申し込んだ。

講演者は、池内紀さん。本来なら敬意を表して「先生」と呼ぶべきであろうが、親しみを込めて、フルネームで池内紀さんと呼びたい。なぜフルネームで呼びたいか・・・習慣であろうか。ずいぶん昔、私がまだ小娘だった頃、知り合いに佐藤さんというおじいさんがいた。かつては独逸文学青年であった佐藤さんと、池内紀さんの書物について語り合うときにフルネールで呼んでいた。その習慣であろう。

というわけで、小娘時代からずっと池内紀さんのひそやかなファンであった。何がきっかけでファンになったのかは、もう忘れてしまったが、いわゆる「おっかけ」ではない。繰り返しになるが、ひそやかなファンなのである。ゆえに、池内紀さんの講演会を聴講するのも今回が2度目。

一度目はもうずいぶん前のことだ。兵庫県の近代美術館が王子公園の前から海の方へと引っ越して間もない頃だったと思う。そこでクリムト展をやっていて、その会期中に、池内紀さんの講演会が美術館の中の大ホールであった。確か講演会の1時間前に整理券を配っていたが、私はのんきにちょうど1時間前に整理券をもらいに行ったら、残僅少。わざわざ講演会を目当てに美術館に入ったのに、あやうく聴けずに泣いて帰らねばならないところであった。

整理券をもらったあと、館内をぶらぶらしていたら、係の人に案内されて講演会場になっているホールへと入っていく池内紀さんとすれ違った。思ったより背の高い人だな、というのが、そのときの印象であった。

あれから、どれほどの時間が流れただろうか。昨日もまた、講演会場に入る池内紀さんを偶然、見かけた。やはり、背の高い人だな、と思った。雲つくような大男というわけではなくて、私が勝手に創り上げたイメージと比較すると背が高いという意味である。

講演の途中で、鞄の中から本とめがねを取り出されたが、そのとき「鞄の中からものを取り出すとき、教師をやっていたことが思い出されて不愉快になる」とぼそっと冗談をおっしゃったが、そうだろうなぁ~、と妙に共感してしまった。

書物の再読というのがテーマであったが、再読というのは、物語や著者を再発見するだけではなく、初めてその書物を読んだときの、若かりし自分と再会するということでもある。その時の状景までもありありと思いだすことでもある。また再読することによって、初読のときに気づかなかった著者の真意に気づくこともある。そしてまた、いかに著者がその当時の社会背景に裏打ちされているかということにも気づく。たとえそれが時代小説であったも、著者の現在がそこにある。・・・・こういうようなとても真面目な内容の話であった。

真面目な内容であるにもかかわらず、池内紀さんのお人柄のおかげで、肩肘張ることのない、ゆる~い雰囲気の中で、拝聴することができた。とても心地よく、久しぶりに「楽しい!!」と思えるひとときであった。

講演会が終わると、とっとと帰るのが常であるにもかかわらず、昨日は池内紀さんのサイン会の列にまで並んでしまった。池内紀さんの書物にサインをしてもうらのだが、イラストも添えてくださった。ちょっと感激。6つの小さなイラストの中から描いてもらいたい絵をリクエストするのだが、私は、花のところに飛んできたミツバチの絵をリクエストした。描き終えてから、その絵を眺めて池内紀さんは、「ま、こんなもんか」と、声にはお出しにならなかったが、そういう顔をされた。少年のような表情とは、こういう顔のことだな、と思った。

 

2016-11-06 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : konekosan

10月も最後

10月も今日で終わり。出張も今日で終わり。やったぁ~! 10月の前半に訪れた地方の、仕事で滞在したホテルの担当の人の言葉が思い出される。「小さな失敗はいろいろあったけど、何とか乗り切れました!」・・・うんうん、わかりますよぉ。私もまさに今、同じ気持ちです。まだあとまるまる1日残っているが、何とか乗り切れました。

今回の宿泊所には部屋にお風呂がなくて、大浴場を利用しなければならないのだが、足の疲れがとれないので、そこの脱衣所にある青竹を踏んでみた。・・・効きます・・・青竹がこんなに足に効くとは、今まで意識したことがなかったが、青竹さまさま。プラスチックでなく、本物の青竹、いいねぇ~、と思いながら、しみじみと上のようなことを考えていたのである。

2016-10-31 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : konekosan

じかん

じかん・・・ひらがなで書くとちょっと変な感じがする。漢字に直すと「時間」・・・時間というのは、人が意識するからこそ、あるというのか、流れていくのだということを特にこの夏以降よく実感する。しかも地域によって時間が流れが違うのだ。仕事で地方を訪ねることがたまにある。そして今もその真っ最中だが、この地に来たら、自分の日常的に持っている時間意識はいったん捨てた方が、よさそうだ。・・・・・文字にすると自分のいいたいことがうまく言い表せなくて、もどかしい。

時間というのは勝手に流れているものではなくなくて、自分で作り出している一種の虚構かもしれない。

やはり、うまく言い表せないが、とにかく日常の中にいる自分がいかにせかせかした、慌ただしい時間を構築しているか、考えさせられる。一歩日常の中から踏み出すと、そこにはゆったりした時間の流れもあるのだということをもう少し意識した方がよいと、この二日間自戒しているのだ。

2016-10-30 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : konekosan

10月もあとわずか

10月はほとんど仕事で家にいることが少ない。今も北陸の小さな町に来ている。この時期にこの町にくるのも5年目というのか、5回めになる。来るたびに宿泊の施設は進化し、今年はトイレがウォシュレットになり、全室Wi-Fi利用可となっていた。すごい!すごい進化だ!と感心のうちに昨日は眠り落ちた。

今朝目覚めて、ゴソゴソと動いていると6時を告げる町内放送から音楽が聞こえてきた。・・・「水色の恋」だったか「恋は水色」だったか・・・そういう名前の曲だと思うが、思い違いかもしれない。ベッドが三つもある広い部屋で、この曲を聞くと、ああ今年もこの地に来たのだと実感する。変わるものと変わらないもの・・・進化と保存・・・そういう中で生きているらしい。・・・そんなことを少しゆっくり考えてみたいところだが、仕事で来ているのだから、そうのんびりできないところが残念。

今こうして文字をタイプしている私のよこに並ぶ三つのベッド・・・。。どのベッドに寝るかで、性格が現れるようだ。連泊中、同じベッドで寝続ける人、あるいは毎晩違うベッドで寝る人。・・・さて、今日も無事に仕事を終えて、早くベッドにもぐりこみたいところだが、どのベッドで眠ろうか。こんなことを書くと、仕事を始める前から、仕事を終えることしか考えていないことがバレてしまうが、本当だから仕方ない。

 

 

 

2016-10-29 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : konekosan

気がつけば10月も・・・

気がつけば10月も下旬に突入してしまった。10月10日に更新したかったのに、仕事で疲れ果てて、出来ずじまい。なぜ10月10日にこだわるかというと、前回の更新日が9月9日だったから、というただそれだけの他愛ない理由なのだ。

とにかく、10月は出張の連続。それでも、その合間に女子会を開いてもらった。大阪の難波の、もとは球場のあったところが今では巨大な商業施設になっているのだが、そこのレストランで女子会ランチを友人が企画してくれて、集まったのが5人。球場があったのはどれくらい前のことだろうか。今では福岡を拠点に愛されている球団の本拠地だった球場の跡地。

集まった5名が学校時代の友人でないところが、面白い。年齢層で分けると、みんな立派なおばさんなのだが、年齢はバラバラ。私は上から3番目。といっても、1番、2番は同い年なのだ。知り合った頃は、皆20代だった。今から遠い、遠い昔のことだ。年に1度、私が仕事で関西にいくと、女子会を開いてくれるので、私にとってはありがたい。

それにしても、話題で一番盛り上がったのが、「老眼」の話であったというのが、情けない。しかしながら、眼の衰えというのは、老化を自覚する第一関門のような気がするが、・・・

と、ここまで書いて、一ヶ月以上ぶりに更新するブログの内容がこのような消極的話題であるとは情けない!と思い、これ以上書く気が失せてしまった。

2016-10-22 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : konekosan

ムネーモシュネー第23号

昨日の午後「ムネーモシュネー」第23号が印刷所から届きました。今回は、ローテーションの都合で、灰色・・・のように見えますが、「あじさい」という色を表紙の紙に使っております。

秋なのに「あじさい」? 秋なのに夏号? 秋なのに1月の月例会の記録? 季節感をだいじにする「ムネモ編集室」にとっては、すべてが季節はずれで、何とも恥ずかしい号になってしまいましたが、致し方ありません。「ムネーモシュネーの会」の会員の皆さまには、準備ができ次第、順次お送りしますので、ご笑覧賜れば幸いです。

「ムネモ編集室」では、25号をもって最終とするという「英断」を第23号の編集後記に載せました。悩みに悩んで、ついにゴールを設定するという一大決心にやっとたどり着いた!と思っていたのは、例のミーハーな編集者でした。この者が、軽薄な編集者として名高いということを忘れてはいけません。発送の準備をしておりましたら、一年と2ヶ月前から、つまり22号を発行したときから決まっていた、ということが発覚しました。・・・やっぱり。・・・決まっていたことをすっかり忘れるとは、軽薄を通り越して、愚かな編集者と改名した方がよさそうです。・・・耄碌しております。やはりこのあたりが潮時のようです。

あと2号。これらを世に送り出してから、「愚かな編集者」と相談して、その次を考えてみたいと思います。

2016-09-05 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : konekosan

久しぶりの青空

台風のおかげで、ようやく夏らしい青空になった。熱中症の危険はあるけれど、これぞ夏!と思わせる青空が見られるのは、夏好きの私には嬉しいことだ。しかし、この風通しの悪い部屋では、扇風機を回しながらタイプしている今もうっすらと汗がにじんでくる。

それはともかく、青空の下、蝉の声が聞こえてくるが、蝉の声を聞くと思い出すのが『パイドロス』の一節だ。真夏のある晴れわたった日の日盛りの中、イリソス川のほとりで、ソクラテスは、それまでリュシアスのところで「恋」の談義に耳を傾けていたパイドロスに出会う。ソクラテスは、どのような話がリュシアスのところで為されたのか、ぜひとも教えて欲しいとパイドロスに頼む。こんなところで立ち話をするよりも、どこか涼しい日陰で腰をおろして話しましょう、というパイドロスの提案で、二人は、プラタナスの高い樹を目指して、イリソス川にそって歩き出す。そして、プラタナスの樹の下に辿り着くと、ソクラテスがこう言うのである。

「おおこれは、ヘラの女神の名にかけて、このいこいの場所のなんと美しいことよ! プラタナスはこんなにも鬱蒼と枝をひろげて亭亭とそびえ、またこの丈たかいアグノスの木の、濃い蔭のすばらしさ。しかも今を盛りのその花が、なんとこよなく心地よい香りをこの土地にみたしていることだろう。こちらでは泉が、世にもやさしい様子でプラタナスの下を水となって流れ、身にしみ透るその冷たさが、ひたした足に感じられるではないか。小さな神像や彫像が捧げられているところから察するに、ここはニュンフたちやアケロオスのいます神聖な土地とみえる。それにまた、ここを吹いているよい風はどうだ。なんとうれしい、気持ちのよいそよぎではないか。それが蝉たちのうた声にこだまして、夏らしく、するどく、ひびきわたっている。〔プラトン(藤沢令夫訳)『パイドロス』岩波文庫、17頁〕」

私のセンセイは、この一節が好きだった。今は滅びた西方の小さな大学の校内にあったサピエンチアという名のついたすばらしく立派なタワーの、確か7階にセンセイの研究室があった。その窓から見おろすと、校庭の片隅に大きなプラタナスの木があって、その木陰を求めてベンチも一つ、二つあったような記憶がある。そして夏になるとその木から蝉の声が聞こえてくる。ある夏の昼下がり、窓辺からプラタナスを眺めながら、この一節を口ずさんでいたセンセイの姿が懐かしい。「私はあのプラタナスのあるあたりに名前をつけてね、ときどき散歩にいくんですよ。何と名付けたと思いますか。君にだけ教えてあげましょう。ボルケーゼ・・・」。イタリアにある公園の名前をセンセイは借りたのだ。ボルケーゼ・×××とそのときおっしゃったと思うが、ボルケーゼの後ろについた語を忘れた・・・いや、ボルケーゼの前に、ピッコロとか何とか、言葉が付いていたかもしれない。要は、小ボルケーゼとか偽ボルケーゼ、というような名前だったと思う。

「君にだけ教えてあげましょう」といいながら、そのすぐ後に出たセンセイのエッセイには、プラタナスのあたりをボルケーゼと名付けた、としっかり書いてあった。ゆえに、私が今こうして綴っていても、センセイは文句が言えないのだ。

 

 

 

2016-08-17 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : konekosan

夏休み

気がつけば8月もほぼ半ば。ただいま強制夏季休暇中です。強制というのは、自分の休みたい時期に休めずに、休みを取らされているという意味です。

それはともかく、私のPCはかろうじてまだ壊れずに何とか動いているのですが、OSが古くてWindows10にバージョンアップできません。できないとどういう問題が発生するかというと、ある日突然、このHPの更新ができなくなるのです。で、仕方なく出張の際に持ってでるモバイルPCを使って、久しぶりにブログをアップしている次第です。・・・とにかく、このモバイルPCは反応が恐ろしく遅いので、イライラします。イライラしているうちに、書きたかったことがどんどん記憶から消えてゆきます。・・・困ったものです。

さて、気を取り直して・・・とは思っても、私の場合、ブログの更新はある程度勢いがないとできません。力わざですから。勢いを失った今、書きたい気力も失せました。・・・ともかく、細々とHPを公開し続けているということだけ、報告しておきます。

2016-08-14 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : konekosan

繁茂期?!

恐ろしく忙しい日々。・・・気がつけば文月も半ば。名古屋では相撲が始まった。京都ではそろそろ祇園祭のクライマックス。大阪ではあと10日もすれば天神祭。夏だなぁ~、とは思うものの、すっきりとしない天気と同様、なんとなく気分が晴れない。

繁忙期という言葉があるが、私の場合は繁茂期・・・熱帯雨林地帯のスコールのごとく、日々仕事が豪雨のごとく降り注ぎ、雨後の竹の子よろしく、ニョキニョキとやっつけなければならない事項が生い茂り、あっという間にジャングルの中で、のびた枝葉をせっせと切り払っているという感じである。

繁忙期を繁茂期と呼ぶのは、日本語としては間違ってはいるけれど、うまく言い当てていると、自嘲的自画自賛で、悦に入っている。・・・・

悦に入っている場合ではなかった! 「ムネーモシュネー」の発行を準備しているのだが、これがプッツリ途絶えてしまった。5月に出すはずであったが・・・。8月には発行するぞ!・・・発行しよう! ・・・発行したい!・・・発行できるかな?・・・この気持ちの移り変わり・・・ケ・セラ・セラ。

2016-07-15 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : konekosan