ピアノその後

ピアノを習いはじめて、正確には、ピアノのレッスンを再開して、はや3ヶ月。手こずっていたシューマンの小品を、何とかクリア。ピアノの先生が、お情けで丸印をくださったような気もしないでもないが、深く考えることはやめておこう。

毎回、冷や汗を流しながらレッスンに通っている私を哀れんでか、先生から頂いたいくつかある今週の課題の一つは、バッハの平均律の1番のプレリュード。譜読みの苦労がないので助かる。

それに昔々、高校生の頃に弾いたことがある。・・・どこかで書いたことがあるかもしれないが、あるいは書きかけて、破り捨ててしまったような記憶もあるが、この曲を弾くと、いつも思い出すことがある。その当時習っていた近所のピアノの先生の紹介で、月に一度だけ、関西ではそこそこ有名だったT先生のレッスンを受けられることになった。T先生が亡くなって久しいが、芦屋の山の中腹あたりの住宅地の一画に、T先生のご自宅があった。月に一度のレッスンを終えて、長い坂道を落ち込みながらとぼとぼと下っていくのが毎回の習慣のようなもので、坂道から眺める海の景色によく慰められたものだ。

T先生はややお年を召した紳士だったから、私があまり練習せずにレッスンに臨んでも、声を荒げて怒るようなことはなさらなかった。けれど、練習をサボったことは自分がよく知っているので、先生が優しいほど、逆に落ち込むのである。「レッスン室置き去り事件」という思い出もあるが、ひとさまにお話しするには、あまりにもお粗末な話なのでやめておこう。

バッハは好きかと問われると、これは微妙で、即答はできない。しかし、平均律のあの有名なプレリュード、グノーというフランスの作曲家が、散歩の途中でこの曲を聴いて、「アヴェ・マリア」のメロディーの着想を得たと言われているあの曲は、T先生の思い出とつながっていて、私には特別なものである。

今思えば、あの日、T先生の機嫌がすこぶる良かったのであろう。女子高生が、楽譜をにらみつけるようにしながら、音符を目で追って、必死に指を動かしている姿を想像していただきたい。心に余裕などない様子が一目瞭然であったことであろう。そのとき、ふと、よく通るバリトンの歌声が聞こえてきた。

さ~んクた~♪ まり~あ~♪ さ~んクた~♪ まり~あ~♪ まり~あ~♪ 

え! 先生が歌ってる! すごい! 綺麗な声! 美しい歌声に気を取られて、それまで眉間に寄っていた皺も消え、弾き終えた後には、何とも言えない軽やかな空気に包まれた。

T先生とお話ししているときには気がつかなかったが、先生はバリトンだったのだ。「これはアヴェ・マリアという曲で、バッハのプレリュードに今歌ったメロディーをグノーという人が曲をつけたんだよ。さぁ、はじめからもう一度弾いてくれる? 僕も歌うから」とおっしゃった先生の手には、いつの間にか楽譜が握られていた。

Ave Maria, gratia plena, Dominus tecum,
benedicta tu in mulieribus,
et benedictus
fructus ventris tui, Jesus.

Sancta Maria,
sancta Maria, Maria,

ora pro nobis,nobis peccatoribus,
nunc, et in hora,in hora mortis nostrae.
Amen Amen

先生の歌を聴きながら、指を動かしていると、それまでとは違って、音が優しく流れ出し、心地よい気分に浸れた。musizierenとはこういうことなのだろう。「音楽する」という言葉は日本語では奇妙に響くが、Musikという名詞が、動詞musizierenになった瞬間を体験できたようで、私にとっては、忘れられない楽しい思い出である。

 

2017-06-26 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : konekosan