2020年2月に書きたかったこと

 新型ウィルスの所為で、ずいぶんと生活のリズムが変わってしまったが、久しぶりに昨晩、近しい人に電話した。「連絡がないから、どうしたのかと思っていたところだよ」という懐かしい声が電話口から聞こえてきた。昨日の電話は、いかに人は新型ウィルスに感染する過程を気にするか、という話を軸に、いつもながら話を迷子にさせていた。人混みを避ける、マスクを着用する、手洗いをする、そういうことをしなければ、感染するリスクが高いわけだが、それは新型ウィルスそのものよりも、感染する過程に注意を払っていることだと、近しい人は言っていた。なるほど、そうとも言えるなぁ。

 それはともかく、先月の電話の話を書きたかったのだが、機会を逸していたので、下に記しておこう。

 先月、二月の半ばに電話したときは、卓球をしに行って、ちょうど帰ってきたところだったらしい。卓球? 近しい人が近所の友人相手に卓球している姿を思い浮かべてみた。……ふふふ……あまりうまく想像できなくて笑ってしまった。……ごめんね。

 私はこどもの頃に遊びで卓球をして以来、とんとご無沙汰だ。「こんど卓球しようか?」「いいですよ。」「若さが勝つか経験が勝つか」……近しい人にとっては年下の私は若いと分類されるらしいが、その分類は誤りだ。でも、わざわざ訂正しなくても、まぁ、いっか。「勝負はやってみないとわからないでしょ。」「じゃ、こんど卓球しよう!」

 そこから話がまた迷い出した。病後の三か月検診では、冬の枯れた枝に止まっている小鳥のように、お医者の診断を聞いていた、と言っていた。処方箋は四日以内に薬局に持っていかないと無効になるという話もしたなぁ。さらに、そこからどう話が迷ったか忘れたが、理想についての話にたどり着いた。「あなたの理想はなぁに?」……なんと難しい質問をさらっと投げかけてくるんだか。「夢も希望もない私に理想について訊くの?」と質問に質問で答えたら、前にある大学の先生に訊いたら「温泉に入ってのんびりすることだって、言ってたよ」と近しい人が言った。「それはちょっとどうかなぁ。理想が温泉に入ってのんびりすることだったら、ちょっと哀しいなぁ。理想って高くにあるものでしょ。それに向かって、向上していく、そういうのが理想だと思っているから、温泉につかるなんて言われたら哀しいなぁ。」「じゃぁ、あなたの理想ってなぁに?」「そうねぇ。少しは尊敬されるような立派な人になることかなぁ。」「尊敬されるというのはいいね。でも僕の理想は信頼されるべき人になることかなぁ。尊敬もその中に含まれると思うけど、人から信頼されるというのがいいかなぁ。誰からも信頼されるというのは、神のことだね。神に少しでも近づいて信頼される人になる、これが一番大事なことだけど、難しいね。」

 なるほど、なるほど。本当に難しいことだ。そう思いながら時計を見たら、八〇分が経過していた。あーあ、またやってしまった、長電話! 疲れたけれど、いつもながら楽しい電話であった。

2020-03-24 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : konekosan

2020年1月に書きたかったこと

突然の新型ウィルスの感染騒動のため、3月に入ってから急に暇ができた。1月、2月は恐ろしく忙しくて更新も滞ってしまった。そこで、この暇を利用して、1月に下書きしたままになっていたことを以下に綴っておこうと思う。

知り合いが入院したとの報を受けて、2019年の聖家族の日、暮れも押し詰まった、けれども春を思わせる暖かい日に、近しい人と一緒にお見舞いに出かけた。例のごとく大雑把な待ち合わせであったが、その日も無事に駅前で、車でやって来た近しい人に拾われた。久しぶりに助手席に座り、私がタブレットで地図を見ながらナビゲーターを務めた。病院までの行く道での対話のメインテーマは「赦し」であった。難しい……。

人々は「赦し」を「許容」「諦念」「我慢」などと混同している。本当の赦しは、神にしかできない。神によって救われた人は真っ新になる。それゆえ、赦しは第二の創造である。…… 話の骨はだいたいこういうことであったと思う。ちょっと記憶が怪しいが……。

病院に到着したら、インフルエンザの流行により、マスク着用が義務化されていた。知り合いは耳が悪く、ほとんど聞こえないので、近しい人(と私)は、メモ用紙に文字を書き、知り合いがそれに口頭で答える、という形式での面会であった。ベートーヴェンは、耳が不自由で筆談していたらしいが、こういう状況だったのであろうか。トマス・アクィナスとオッカムのウィリアム、光と闇、善と悪……私にはキーワードしか書き記すことができないが、そういう話で筆談に花が咲いた。「悪は善がなければ存在しない」、「善の欠如が悪である」、「すべての行為は善に基づく」……病室でこんな話で盛り上がるのは、この二人だけだろう。お見舞いの時間は1時間と制限されているので助かったが、制限がなければこの二人は朝まで語り合っていたことだろう。

お見舞いのあと、帰り道のナビゲーターは、お役御免になった。無事に帰り着いたけれど、話はいつものように迷子になった。……「この前、『自分の年を考えなさい』って言われたんだよね。でも僕はいつ生まれたか知らないから、自分の年はわかんない。誕生日は母に教えられたけど、それが正しいかどうかわかんないし、役所への届けも本当かどうかわからんでしょ。だから僕は自分の年は考えないんだ」というような話も聞いた。そのとき私は「確かにそうね。私だって自分の年はわかんないなぁ。でもまぁ、みんなの伝えるところを信じるなら、あなたも私もやっぱりいいお年だわね」と そっと心の中でつぶやいた。

2020-03-05 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : konekosan