居心地のいい場所

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今年もあっという間に半分が過ぎた。大好きな夏至も終わり、これからまた徐々に昼の時間が短くなっていくわけだ。

それはともかく、6月下旬に出張があり、その帰りに少し寄り道をしてエキュメニカルな場所に行ってきた。そこには神父様がいて、詩人がいて、牧師夫妻がいた。詩人が、「イエズス会で墓地を買いました」と言い、ドミニコ会の神父様が、「私に葬式をあげるように頼んでいるのに、どうしてイエズス会で墓を買うのですか」と穏やかに、遠慮がちに、小さく噛みついた。それを見ながら、牧師の奥さんが「また始まった・・・」と呆れながらつぶやき、おとなしい牧師のご主人が静かに微笑んでいた。

こんなことを書いても、何が面白いのだろうと、訝しがられるだけであろう。だが、私にとっては、このような他愛のない場面に遭遇して、こんな居心地の良い場所があったのだと気づき、こんな居心地の良い場所があることを忘れていた自分を恥じ、そして、何年たっても居心地の良い場所を築いてくれる人々に、このうえない懐かしさを覚えた貴重な時間であった。そういう人々といると、自然に笑っていた。こんなに笑ったのは、何年ぶりだっただろう。

「たまには顔を見せにきなさい、顔を忘れてしまわないようにね」と神父様から電話をもらったのは、5月だった。今さら顔をだしてもなぁ、と女々しく考えていた。おばさんだからね。だが会うとすぐに空白の時間の溝は埋められた。昨日も一昨日も一緒にいたかのように、話が弾んだ。けれど、時折、知り合いの噂話を聞いて、やはり時は流れているのだとも思った。そして、よくよく見れば、神父様も、詩人も、牧師夫妻も、斯く言う私もそれなりに年をとっていた。

それはそうなのだが、それでも、皆、あのころのままの優しい人々であった。

 

2018-07-13 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : konekosan