2020年1月に書きたかったこと

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突然の新型ウィルスの感染騒動のため、3月に入ってから急に暇ができた。1月、2月は恐ろしく忙しくて更新も滞ってしまった。そこで、この暇を利用して、1月に下書きしたままになっていたことを以下に綴っておこうと思う。

知り合いが入院したとの報を受けて、2019年の聖家族の日、暮れも押し詰まった、けれども春を思わせる暖かい日に、近しい人と一緒にお見舞いに出かけた。例のごとく大雑把な待ち合わせであったが、その日も無事に駅前で、車でやって来た近しい人に拾われた。久しぶりに助手席に座り、私がタブレットで地図を見ながらナビゲーターを務めた。病院までの行く道での対話のメインテーマは「赦し」であった。難しい……。

人々は「赦し」を「許容」「諦念」「我慢」などと混同している。本当の赦しは、神にしかできない。神によって救われた人は真っ新になる。それゆえ、赦しは第二の創造である。…… 話の骨はだいたいこういうことであったと思う。ちょっと記憶が怪しいが……。

病院に到着したら、インフルエンザの流行により、マスク着用が義務化されていた。知り合いは耳が悪く、ほとんど聞こえないので、近しい人(と私)は、メモ用紙に文字を書き、知り合いがそれに口頭で答える、という形式での面会であった。ベートーヴェンは、耳が不自由で筆談していたらしいが、こういう状況だったのであろうか。トマス・アクィナスとオッカムのウィリアム、光と闇、善と悪……私にはキーワードしか書き記すことができないが、そういう話で筆談に花が咲いた。「悪は善がなければ存在しない」、「善の欠如が悪である」、「すべての行為は善に基づく」……病室でこんな話で盛り上がるのは、この二人だけだろう。お見舞いの時間は1時間と制限されているので助かったが、制限がなければこの二人は朝まで語り合っていたことだろう。

お見舞いのあと、帰り道のナビゲーターは、お役御免になった。無事に帰り着いたけれど、話はいつものように迷子になった。……「この前、『自分の年を考えなさい』って言われたんだよね。でも僕はいつ生まれたか知らないから、自分の年はわかんない。誕生日は母に教えられたけど、それが正しいかどうかわかんないし、役所への届けも本当かどうかわからんでしょ。だから僕は自分の年は考えないんだ」というような話も聞いた。そのとき私は「確かにそうね。私だって自分の年はわかんないなぁ。でもまぁ、みんなの伝えるところを信じるなら、あなたも私もやっぱりいいお年だわね」と そっと心の中でつぶやいた。

2020-03-05 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : konekosan